空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

イエス・キリストのよう{に/な}

今年の四月に樺沢紫苑『ストレスフリー大全』を読んでいたらこんな一文があったのを思い出しました。

「ギバーになろう!」「見返りを求めずに人に与えなさい」と言っても、イエス・キリストのように完全な「自己犠牲」は私たち凡人には無理なのです。

実は最初に読んだときに、「のように」では「イエス・キリストのように無理なのです」となってしまうので、「のような」として「イエス・キリストのような自己犠牲」とすべきだと考えたのですが、友人に「イエス・キリストのように完全な」と読むべきだと指摘されて(あ……俺、本当に日本語母語話者だっけ?)となってしまいました。しかしながら、「に」でも「な」でもちゃんと読めるような構造をしているというのは面白いと思います。