空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

ディオニュシオス・トラクス『文法の技法』

更新履歴

  • 2021/07/15: テクストの信憑性について追記
  • 2021/06/14: 公開開始
  • 2019/12/15: 翻訳開始

訳者序

本稿は、紀元前一世紀ごろに書かれた現存する最古のギリシア語の文法書、ディオニュシオス・トラクス『文法の技法』の翻訳である。トラクスはアレクサンドリア学派の言語学者であり、コイネーを話す当時のギリシア人たちが特にホメロスの作品を読めるようにするために、文献学的な見地から古典ギリシア語についての個々の知識、いわゆるエンペイリア(経験)をまとめることに成功した。その結果として、『文法の技法』は千年以上にわたって文法の教科書として読み継がれ、その影響を Forbes (1933) は次のように評している。

初期および中期のラテン文法家は彼に負うところが大きい。彼らは伝統英文法の手本とされ、そして今日に至るまでディオニュシオス・トラクスからの影響を示さない教科書はほとんど存在しない。

ところが、その翻訳は(2021 年 6 月現在)トマス・デイヴィッドソンによる英訳ぐらいしか閲覧しやすいものが存在せず、しかもこれは底本の信憑性が1883 年にギュスタヴ・ウーリッヒが八本の写本をもとに作成した校訂版に比べて疑わしいことが知られており、Kemp (1986) はウーリッヒ校訂版を底本としている。具体的には、途中で「ピリオドはコンマとどう異なるか?」と「場所」という二つの節が追加されており、「動詞について」は第15節になっている。

ウーリッヒ校訂版は、部分的には國分功一郎氏の有名な著書『中動態の世界』で訳されており、次のようにコメントがなされている。

『テクネー』のテクストの真正性については、1958年にディ・ベネデットが疑いを差し挟んで以来、長く論争の的となっている(Vincenzo Di Benedetto, “Dionisio Trace e la Techne a lui attribuita”, Annali della Scuola Normale Superiore di Pisa, Serie, II, 27 (1958), p.169-210; 28 (1959), p.87-118)。1990年に書かれた次の英語論文は、ディ・ベネデットが最新の研究に言及しつつ議論の経緯をまとめたもので、論争を概観するうえで役に立つ。Vincenzo Di Benedetto, “At the Origins of Greek Grammar”, Glotta 68 (1990), p.19-39. またロウビンズ『言語学史』36-37頁も参照されたい)。『テクネー』の翻訳・注釈を行ったラロや、『古代ギリシアにおける文法の誕生』の著者イルドゥフォンスなどもベネデットの説に則っている。実際、写本間で記述にずれが見られるわけであるから、どこがどの程度改変されたのかは別として、改変があったことは間違いない。ベネデットによれば、書き換えの時期は最大で3世紀か4世紀にまで下ってくる可能性がある。書き換えの内容や時期などはたいへん興味深い問題であるが、本稿の考察の対象とはならない。本稿では、プラトン以来の文法研究の一つの集大成として大きな影響力をもったがゆえに書き換えをも蒙りつつ後に伝えられ、今日のわれわれの文法理解を決定づけたテクストとして、この『テクネー』を扱う。

そこでは「動詞について」が訳出されているが全訳は記載されていない。当時この本を読んだときの感動と『文法の技法』が翻訳されていない現状への衝撃をどちらもいまだに良く覚えている。これを翻訳するために古典ギリシア語を少し勉強して直接翻訳を折に触れて続けていたのだが、あれから四年経った今でも誰もこれを翻訳しようとしないし原典からの完全なる直訳を完成できる見込みも今のところほぼない。

したがって國分功一郎氏が全訳を発表でもしない限り、この『文法の技法』は決定的に重要なのにもかかわらず非常にアクセスしにくい文献のままになってしまう。熟考の末に、潔く「最初は Kemp (1986) から重訳してしまい、それから原典と比較検討することで修正する」という妥協のもとで公開することにした。ゆえに(この記述は原典との検討が終われば完成したら消されてしまうので)この文を読んでいるということは、本稿の翻訳をあまり信用しすぎてはならないということである。このような注意書きをすること自体が非常に心苦しいと思われるものの、今までの数年間(あるいは数十年間)ずっと誰も訳そうとしなかったのが問題なのだとも言える。いわばこのようなアジャイル開発を採用することで、あわよくば読者諸賢からお問い合わせフォームを通じてご指摘を頂きながら、翻訳を進めることができれば最も良いだろうと考えている。

  • A: 原典との比較検討が終わっているもの
  • B: Kemp (1986) から一通り訳したもの
  • C: 途中のもの

A と B の段階の間違いについては指摘していただけると幸いです。

目次

文法について (A)

文法とは、詩人や散文家の一般的な語法についての経験である。六つの部に分かれる。第一に、正統な発音に則った読解。第二に、詩的表現に対する説明。第三に、語や引喩に対する注解。第四に、語源の解明。第五に、規則性の詳述。第六に、詩の批評(これがすべての技法の中で最も美しい部門である)。

読解について (B)

読解とは、詩人や散文家の作品を間違いなく発音することである。読解する際には、読み方や韻律、語の切れ目に対し適切な注意が払われなければならない。我々は、読み方によって作品の徳を知り、韻律によって読み手の技法を知り、語の切り方によって全体の意味を知る。このようにして我々は、悲劇を荘重に、喜劇を日常生活に合うように、哀歌を悲しげに、叙事詩を力強く、叙情詩を調和的に、挽歌を悲しく陰気に読むのである。これらの規則が注意深く遵守されなければ、詩の徳は失われ、読者は滑稽になってしまう。

アクセントについて (A)

アクセントとは、抑揚のある声の響きであり、鋭アクセント(´)では上昇し、重アクセント(`)では平坦になり、曲アクセント(ˆ)では上下する。

句読法について (B)

句読法は三つある。ピリオド、セミコロン、コンマだ。ピリオドは意味が完結していることを示し、セミコロンは読者が息継ぎできる場所を示すのに使われ、コンマは意味が完結しているわけではないものの何かをまだ欠いているときに使われる。ピリオドとコンマの違いは何か? それは継続時間だ。ピリオドの場合は時間の間隔が長く、コンマの場合は短い。

ラプソディについて (C)

メモ:ラプソディとはイーリアスの一節のように1回で朗唱できる叙事詩の一節のこと(ランダムハウス)

文字について (C)

文節について (C)

長音節について (C)

短音節について (C)

共通音節について (C)

語について (C)

名詞について (C)

動詞について (A)

動詞とは格変化しない語であり、時間、人称、数を指し示し、能動と受動を表す。動詞には八つの偶有性がある。 法、態、種、形態、数、人称、時制、活用である。
法は五つある。直説法、命令法、希求法、接続法、そして不定法である。
態は三つある。能動、受動、中動である。能動はたとえば「私は打つ」であり、受動はたとえば「私は打たれる」である。中動は、部分的に能動を、部分的に受動を示し、たとえば「私はそこに留まっている」「私は正気を失っている」「私は自分のために何かをつくった」「私は自分のために文書を書いた」などがある。

活用について (C)

分詞について (C)

冠詞について (C)

代名詞について (C)

前置詞について (C)

副詞について (C)

接続詞について (C)