空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

なぜ超能力は存在しないのか?

超能力が再現不可能ならば「能力」とは言えず、再現可能ならば科学的手法の対象になるので還元主義的にメカニズムが解明され、磁覚や映像記憶などと同等になるから。

磁覚や映像記憶は超能力的ではあるが超能力ではない。磁覚や映像記憶を超能力だと言い張る人は、聴覚や触覚も超能力だと言い張って然るべきであり、したがってそもそも「超能力」という語の意味を理解していない(あるいは「超能力」という語が「能力」と同義になるのでわざわざ「超-」と付ける必要がなくなってしまう)。当然だが、これに「磁覚や映像記憶は限られた人間しか持っていないのに、聴覚や触覚は普通は持っているから同じように論じてはならない」と反論するのは、聴覚や触覚に不自由のある方への差別である。

ところで、ヒトでは幼少期まで映像記憶ができる個体がごく普通に存在しており、成長するにつれてそれが(非顕在化するのか消失するのか分からないがとにかく)随意的には想起できなくなる個体の方が圧倒的大多数になる。記憶がどうかは分からないが少なくとも想起が一般には障害されていることが本質的であるから、これは「映像想起」と呼ぶべき能力であると言えよう。ちなみに私はこの感覚を部分的に持っているが、その分フラッシュバックが起こりやすいので精神衛生的に非常に良くなくてほぼ毎日苦しんでいるから、結局そのメリットは道を覚えやすい程度にしかならない。道を覚えやすいというのは、しかし、何とも愉悦たまらない能力だ。