空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

「偉いのでXした」構文

世の中にはオタク構文なるものが絶えず生成されていますが、その中でもあまり脚光を浴びていないのに知らず知らずのうちに影響力を持っていると筆者が考えるものとして「偉いのでXした」という構文があります。実例としてはTwitterを見るしかなく、2020年11月の時点では、ブログなどのレベルまでには浸透していないと考えられます。特徴として、

  • 主語は普通省略され、あるとしたら必ず一人称となる
  • Xの内容は「世間一般では出来て当たり前のこと」が入ることが多い
  • 絵文字「🥺」と共起できる

が挙げられます。たとえば、

  • ぼくは偉いので計画的に徹夜します
  • 偉いので今日は2つくらい英単語を覚えた
  • 偉いので午前起床した🥺

などの用例が考えられます。

実はこの記事を書いたのは半年前に友人に次のように質問されたことに起因しています。

ずっと気になって仕方ないんだけど、「偉いので〜〜した」じゃなくて、「〜〜したので偉い」んじゃないの?

たしかに「計画的に徹夜するのでぼくは偉い」「今日は2つくらい英単語を覚えたので偉い」「午前起床したので偉い🥺」の方がナイーブには正しい論理関係であるように見えます。話し手が偉いのはあくまでもその行動によってのみであり、その因果は逆にはできないだろ……ということです。実はこのツッコミこそが「偉いのでXした」構文の本質なのではないでしょうか。つまり、

仮定: 話し手が一般的・内在的性質として「偉い」
結論: 〜〜した (=偉いこと)

となり論理が破綻しているというツッコミ待ちな状況であるところにこの構文の(ある意味で大阪的な)レトリック性があるというわけです。ではなぜこの構文がオタク構文と括られがちなのでしょうか? それはひとえに「ほとんどのオタクは(世間一般の価値観において)偉くない」という隠れた前提を自嘲として用いているからでしょう。だからこそ主語は一人称でなければなりませんし、ギャップを際立たせるためにXの内容は「世間一般では出来て当たり前のこと」が入ることが多く、その自嘲的な滑稽さを表すために絵文字「🥺」を添えるのではないでしょうか。そのことを意識してあえて不自然な例を作ってみましょう。

  • *ヘレンケラーは偉いので障害者の教育・福祉の発展に尽くした。
  • ?偉いので青年海外協力隊に参加してアフリカで井戸を掘ってきた。

2番目を ? に留めたのは、これをさらに逆手にとって風刺として用いることが可能だからです。たとえば何人かの日焼けした男友達どうしで砂場に行って何か井戸らしい構造物を作って水を出せたとき、そのときの写真に「偉いので青年海外協力隊に参加してアフリカで井戸を掘ってきた」という文章を添えることは何ら不自然ではありません。ですが当然これは品のない行為であり、むしろその「品のなさ」にこの構文を含めたオタク構文の存在意義があるとも言えます。