空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

A question of living where they are or not living at all

The roots of vegetables (which Aristotle says are their mouths) attach them fatally to the ground, and they are condemned like leeches to suck up whatever sustenance may flow to them at the particular spot where they happen to be stuck. Close by, perhaps, there may be a richer soil or a more sheltered and sunnier nook; but they cannot migrate, nor have they even eyes or imagination by which to picture the enviable neighboring lot of which chance has deprived them. At best their seed is carried by the wind to that better place, or by some insect intent on its own affairs: vegetables migrate only by dying out in one place and taking root in another. For individual plants it is a question of living where they are or not living at all. Even their limbs can hardly move, unless the wind moves them.

これは Santanaya (1964) の冒頭です。実は昨日とある友人に、この文章を簡単な語彙にリライトした塾の教材を見せられて下線部の意味を聞かれたのですが、よく読んでみると非常に面白い構造をしていることがわかったので記事としてメモしておきます。どうやらこの文章は予備校界でたまに使われているようで、知恵袋にもこの部分を質問する投稿があり、次のような訳例案が寄せられていました。

  1. 個々の植物にとって、彼らが根付いた場所がどこであるかは、彼らの生死を分ける問題であることを意味する。
  2. 個々の植物にとってそれは、どこに生きるか、それともまったく生き延びられないか、という問題なのだ。

まず両者とも where they are を疑問詞と解釈していますがそれは統語上のレベルで不可能です。その場合は living を消した上で where they live とせねばなりません。ところが 1. の訳を見てみると living or not living at all → living where they are or not living [where they are] at all という構造を想定しているように見えます。しかし全体の文脈を考えるとこれは非常に奇妙です。ひとまず下線部以外を全部訳してみましょう。

野菜の根は(アリストテレスは野菜の口とも言うが)必然的に地面に付着し、ヒルのようにたまたま張り付いた特定の場所にあるどんな栄養も吸い上げてしまうよう運命づけられている。もしかしたら近くにはもっと豊かな土壌や日当たりの良い場所があるのかもしれないが、野菜は移動することもできなければ、偶然奪われてしまった羨むべき隣の土地を想像する目や想像力すらもたない。せいぜい、種子は風に乗ってより良い場所に運ばれていくか、あるいは自分の仕事に夢中になっている虫に運ばれていくだけである。結局は一度そこで死に絶えてまた別の場所で根を張り巡らせ直すしか移動しようがないのだ。個々の植物にとっては、it is a question of living where they are or not living at all. 風が動かしでもしない限り、植物の四肢は全く動くことができないのである。

こうして読んでみると「今張り付いてるところに生き続けるか (but they...them.)、死に絶えてその種子を別にところに運ぶ (At best...affairs:) しか移動手段がない (vegetables...another)」という文脈が存在していることがわかります。とすると、どう考えても a question of [[living where they are] or [not living at all]] という分け方を想定しなければなりません。ある意味で Shakespeare の “To be, or not to be, that is the question.” が捩られていると言ってもよいでしょうし、ある意味で(厳密には違いますが)兼用法 (syllepsis) だと言ってもよいでしょう。つまり、前者は SVA 型の「生育する」で後者は SV 型の「生存する」なので、同じ live という動詞が parallelism という制約のもとで意味を変えるレトリックが使われているというわけであり、living where they are or not being alive at all と言い換えることは可能ですが being alive where they are or not living at all と言い換えることは不可能だと言ってもよいでしょう(前者は前者で不自然な語感があるわけですが)。訳すなら「今いる場所で生き続けるか、完全に死に絶えてしまうかという違いでしかない。」あたりでどうでしょうか。

参考文献

Santanaya, G. (1964). The philosophy of travel. The Virginia Quarterly Review, 40(1), 1-10. Retrieved October 16, 2020, from http://www.jstor.org/stable/26444984