空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

なぜ 1 は素数ではないのか?:too simple to be simple

多くの定義では素数を「 $1$ より大きい正の整数のうち正の約数が $1$ と自分自身のみであるもの」としますが、いくつか最近思うところがあったのでメモしておきます。

  • “up to 同伴” で同一視するんだからプラマイ含めて素数でいいじゃないか ($\pm2, \pm3,\dots$)
  • なぜ $1$ は素数としないのか?

一つ目に関しては、割とそういう流儀は存在するらしくて嬉しいです。二つ目に関しては、かなり議論を重ねた結果、結局次に帰着するのだと判明しました:

too simple to be simple in nLab 曰く

A trivial object is too simple to be simple.

であり, 一般的に数学的定義というのは次のように進むのだということです.

  1. ○○はない (テキトー)
  2. 非自明な〇〇はない (古典的)
  3. 非自明な〇〇はないが自明な〇〇はある (現代的)

例としては:

  1. 体においてすべての元は可逆元である.
  2. 体において $0$ 以外のすべての元は可逆元である.
  3. 体において $0$ 以外のすべての元は可逆元であり $0$ は可逆元ではない.

これ結構本質的で良いと思っていて, ちょうど今回の問題に対する次のような説明も書かれています.

今まで挙げてきた例の多くは, 素朴な定義で使われがちな $2$ 項の関数を, 任意の有限個の項を取るように変えるだけで洗練された定義になる. その例として「 $n$ が素数であるとは, $n=ab$ ならば $n=a$ または $n=b$ となることをいう」を「 $n$ が素数であるとは, $n=\prod_{i=1}^{k} a_i$ ならば $n=a_i$ なる $i$ が存在することをいう」とすれば, $1$ は空積 ($k=0$) に等しいが $i$ は存在しない (そもそも項が存在しないのだから).

これは多分一番いい回答だと思っていて、たしかに実際こうすることで色々な不都合が解消されます。しかし、注意すべきは「素因数分解の一意性を保つため」と認識するのは色々マズいということです。あくまでも種々の辻褄が合うからであって素因数分解の一意性を保つためにあるわけです。