空論上の砂、楼閣上の机。

The Castle of Indolence

want more O1 to be C as well as O2 構文

少し前に議論になって自分で少し考えたのでメモしておきます。たぶん示唆的だと思うのでブログの記事としても公開しておきます。


とりあえず次の6つの文をご覧ください。# は適切なコンテクストを考慮する必要がある場合で、その判定は筆者と数人の友人で下しました。

(1) I want more Japanese to be good at English as well as Americans.
(2) #?I want more Japanese to be good at English as well as more Americans.
(3) #I want more Japanese to be good at English as well as more Americans to be so.
(4) #I want more Japanese to be good at English as well as Russians.
(5) ?I want more Japanese to be good at English as well as more Russians.
(6) I want more Japanese to be good at English as well as more Russians to be so.

これをよく考えてみると次のような法則があると考えられます。

  • O2 to be C という前提がある場合は O2 だけでよく more O2 (to be so) は「アメリカ人は英語が上手でない」というコンテクストを必要とする

I want more Japanese to be good at English as well as Americans. は “Americans are good at English” という命題が前提にあるので正文とみなしてよいのですが、一方で I want more Japanese to be good at English as well as more Americans to be so. は話者がたとえばイギリス人でアメリカ英語を皮肉っている場合などしかありえません。

  • O2 to be C という前提がない場合は more O2 とすると容認度が上がり, more O2 to be so のように代用形を用いると正文になる

これは上のちょうど反対のことです。

つまり want の補部構造のどこを省略しているのかで文構造が完全に変わってしまうためにこのようなパラドックスが起きてしまうのでしょう。ちなみに基底にある for を顕現させると当たり前ですが非文です。これは主に英語に根強く在る parallelism の意識とそもそも復元させるのが難しいからだと思われます(want for O to do はダメ)。